四月から入った新しい環境にどの位たてば慣れるのかという心配事は、入学当初の人間ならば誰しも思うだろう。高校という未知なる学び舎での新生活なのだ。早々に慣れるにこしたことはない。新しい友達を作って交友関係の輪を広げたり、その高校独自の生活リズムになれたりするのが、四月。ここで躓くと五月病という厄介な症状になったりするのだが、泉野月兎(いずみの つきと)の場合は心配無用だった。便利屋で学んだ接客技術は対人関係に応用できるし、持ち前の器用さも高校生活で遺憾なく発揮され、月兎のスタートダッシュは完璧に成された、
かに思われた。
四月の下旬、五月まで残り数日に迫ったある日、月兎はある人物と運命的な邂逅を果たした。それは月兎にとって予想外のトラブルであり、同時に人生の転機でもあった。
そんなこんなで現実離れした危なっかしい日常を過ごすこととなった月兎だが、不安や不満の類は一切なかった。
なぜなら、月兎の高校生活はそんなことを言っている暇もないほど充実しているのだから。
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五月になった。
五月になった、と言っても四月三十日から五月一日になっただけで、これと言った感慨も浮かばない。むしろ不平不満ばかりだった。
「世間一般で言えばこの四月の終わりから五月初頭までの期間をなんと言うか知っているか? 疾風」
そんな誰でも知っているような、むしろ相手を馬鹿にしたような問いを、月兎は友人の六連疾風(むつら はやて)に投げかけてみる。
「……ゴールデンウィーク」
そんな無視してもいいような問いにわざわざ答えている律儀な疾風も、月兎の言いたいことに半ば賛成だったりする。
「――そうだよな。今はゴールデンウィークであってるよな……」
おもいっきり嘆息する。出てくるのは嘆きの言葉ばかりで、なかなか要領を得ない。
その理由は簡単だった。
「なんで、何で俺たちは連休中に学校に来させられて、しかも体力測定なるものをやらなきゃならんのだ」
それが月兎の不満の理由だった。
現在日本中で実施されているゴールデンウィークなる大型連休中に学校へ来るだけでも億劫なのに、さらに無理やり運動させられるなんて納得いかない。連日の便利屋稼業で大忙しの月兎ならなおさらだ。後ろ向きな吐息が漏れるその気分はブルーを通り越して最悪であり、いくらグラウンドの反対側で同じく女子たちが体力測定をしていたとしても、カッコつけていつもよりがんばろうとは思考の片隅にも置いてやらなかった。
そんな月兎の気分を知ってか知らずか、隣で一息ついている友人は客観的に応えた。
「授業日数が足りてないからだろ。週休二日制のご時世で、無理にでも授業日数を確保するには休日を割くしか方法がないのさ」
「マジメに答えてどうする。そんなことはこの俺でも知っている。俺が言いたいのはだな、こんな一足早く到来した梅雨みたいな精神状態じゃあ走ったり跳んだり投げたりしても何の得にもならんということだ」
そう言うと月兎は、残っていたやる気を全て投げ出すように仰向けに寝転がった。このまま授業をサボっていてもいいような気がしてきた。後残っている種目は適当に記録をでっち上げて寝ているのも悪くない。そうだ、そうしよう。
「そうは言っても――」
投げ出された記録用紙を手にとって、疾風は嫌味に笑った。疾風は同姓でもうなずいてしまうほどの美形だ。その表情も様になっていて、女子が見たら卒倒しそうである。月兎にとっては鬱陶しいだけだが。
「月兎の記録、上から下まで全部平均以上だぞ? ここまで死角なしだとむしろいやらしいな。やる気ないとか言っておきながらちゃっかり記録を残すあたり、特に」
「全種目学年トップのお前に言われたくない! 勉強も運動もその他諸々何でもできる。本当の無敵超人はオマエのほうじゃねえか!」
月兎の嫌味もどこ吹く風。まるで小鳥のさえずり程度にしか聞いていない友人に嫌気が差した月兎はおもむろに起き上がった。ただうすぼんやりと青空を眺めているよりだったら、グラウンドの向こうで年甲斐もなくはしゃいでいる女子たちを傍観していたほうが眼の保養になる。決していやらしい意味ではなく、日ごろの精神疲労の回復のためだと弁解しておく。念のために。
月兎の日課でもある便利屋の手伝いは見た目以上にハードである。依頼の幅が広すぎるため(犬の散歩から人探しまで)そのたびに臨機応変に対応しなければならない。いくら器用な月兎でもこなせる依頼の数には限度というものがある。それに加えて、酒癖の悪い便利屋店長である神咲の手綱も握らなければなければならないため、月兎の便利屋における役割は大変重要なものとなっている。
さらに四月、月兎の日常に新たに加わることになったのは――。
「それにしても――あいつ、学校ではあんま笑わないんだな……」
和気藹々としている女子群の中、一人だけ黙々と課題を片付けている少女に目線がいった。
周りの女子からは10センチ以上身長が低く童顔なため、女子高生というよりは女子小学生みたいで下手したらランドセルも似合いそうな体躯。トレードマークのツインテールが唯一の少女らしさで、可愛らしい顔つきをしている割に感情が読めない無表情のため近寄りがたいオーラを放っている。そのせいか一人だけ孤立し、喧騒からはみ出していた。
(夢未は――俺と一緒にいるとき以外雰囲気が違うよな。気を張っているというか――いや、むしろ俺といるときが平常の夢未で、それ以外のときは感情を閉ざしているのか?)
波風夢未(なみかぜ ゆみ)という名の少女は、無表情ながらどこか寂しげに見えた。颯爽と走る姿も悲痛を煽る華麗さで、彼女自身が混沌とした孤独から抜け出そうとしているようだった。
「どうしたんだ月兎? そんな思いつめた顔で」
心配した疾風が声をかけてくるが、その声は月兎の耳には届いていなかった。
(そういえば、夢未には学校に俺以外の親しい人間っていたっけ? 見かけるときはいつも一人だし、そんな話も聞かないな)
高校生活は始まったばかりなのだ。夢未にも月兎以外の友人の一人や二人必要なのではないか? そうは思うも、こればっかりは月兎にはどうしようもないことだ。ここぞというときに無力な自分が歯がゆかった。
「なんかおかしいぞ、月兎。保健室でも行ったほうがいいんじゃないか?」
「――ん、あ……」
友人の生返事に何か思うところがあるのか、疾風は月兎の視線の先を追った。そこには当然の結果として一人の少女が映っていた。ちょうど五十メートル走をしていた夢未は、他の女子を軽く抜き去ってゴールしていた。計測していた女子も、夢未の見た目の小ささからは窺えない好タイムに驚いているようだ。しかし肝心の夢未は、それがどうしたと言わんばかりに顔色を変えぬまま、その場を後にする。それはただ同じ作業をこなす機械のようにも見えた。
「……波風夢未だな。月兎、あいつのことばかり見てるが、何かあったのか?」
「ん、いや……特にこれといったことは……」
むしろありすぎたと言うべきところなのだろうが、若干心配気味の疾風に本当のことを言うわけにはいくまい。素直に言ったとしても信じてくれるかどうかは別問題だが。
そんな風にお茶を濁した月兎から余計なことを察した慧眼なる疾風は、もし相手が女子ならば一瞬で魅了されてしまいそうな、男から見ればただムカつきたくなる表情で真剣に言った。
「――もしかして、何かあったのではなく、お前が何かしたのか?」
否定するのもばかばかしくなって、疾風の顔面をグーで殴ってやった。
大丈夫。こういう阿呆に手加減するのは慣れている。
……Next 夢未の友達
テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
- 2009/01/08(木) 17:58:32|
- ミズガルズの救済者SS2
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